影響されることについて

去年はやぶさ展のようなものが地元の科学資料館で開かれたので、そこで買ったはやぶさのファイルを使っている。

2009年の暮れごろにネットのコピペではやぶさを知り、何度もそれを読んだりはやぶさのエピソードに感動した人のコメントを頻繁に見たりしているうちに次第に好意を覚えるようになって今に至る。

ここではやぶさに好意を覚えるようになった大きな要因は二つある。はやぶさとそれに関わる人々の情熱的なエピソードと、それらをよく目にする機会があったこと。

2010の初めからはやぶさが地上に帰還する6月13日前後まで、2chやコピペブログでははやぶさの話題を見ることが多かったように思う。同じ内容のコピペを日に何度も違うブログで見ていたりもした。最初見て「すごいなあ」と思っただけのものでも、何度も触れたりそれを好きだと言っている人をたくさん目にしたりすると親しみが湧いてくるものだ。


悪印象がないうえで、何度も接するものは好きになるのだと思う。


話は翻る。母が韓流にはまっている。
チャン・グンソクが大好きらしく、マッコリのCMがテレビで流れる度に家事や食事の手を止める。
一度、こちらから彼を話題にしたいことがあったが名前が思い出せないので「えーとあのチョー・ヨンピルがさあ…」と適当に話しかけてみたら物凄く機嫌が悪くなったことがあった。それくらい好きらしい。

好きになったきっかけを聞いてみると、夕方のドラマ枠で流れている「メリは外泊中」を目にしたから、らしい。「まあ流行ってるからね」とのこと。

母にとっての情報源はテレビか新聞、そのチラシくらい。ネットはこわいものとして遠ざけている。周りにいる友人もそうで、韓国好きの人ばかりだ。だから韓国は流行のコンテンツということになっている。視聴率がどうであれ。そもそもそういう人たちは視聴率など気にしない。テレビにたくさん出ているものは流行のもので、みんなが好きで見たいと思っているから出ている。デモ?テレビに出ないからそんなものはない。

テレビのバラエティ、ニュースの芸能に韓国の文字が出ない日はない。何度も接する物は好きになるのだ。そのテレビの現状がどうであれ。

母は毎晩、韓国ファンの友人からお土産に貰ったチャン・グンソクのマグカップを愛用しうれしそうに眺めている。
チャン・グンソクが出ていたテレビの話をこちらによくしてきて、どれだけかっこいいかということを語ってくれる。

自分もはやぶさのファイルを愛用していて、学校にも持って行っている。知って、なおかつ好きになった理由はネット上における限られた場所での流行。
何が違うのだろう。